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岡島常樹

おかじま つねしげ(1666-1703)
登場回数:4作
別名:岡島八十右衛門

岡島 常樹 (おかじま つねしげ、寛文6年(1666年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は八十右衛門(やそえもん)。
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沖田林太郎

おきた りんたろう(1826-1883)
登場回数:1作
別名:井上林太郎

沖田 林太郎(おきた りんたろう 文政9年2月22日(1826年3月30日)- 明治16年(1883年)2月13日)は、江戸時代末期(幕末)の新徴組隊士。妻は沖田みつ。弟(義弟か実弟かは不明)に櫛羅藩士(卒族)島田勝次郎。義弟に新選組隊士沖田総司。義妹に沖田キン。諱は房政、元常。
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加藤明成

かとう あきなり(1592-1661)
登場回数:1作

加藤 明成(かとう あきなり)は、江戸時代前期の大名。陸奥国会津藩の第2代藩主。水口藩加藤家2代。
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河原塚茂太郎

かわらづか もたろう(1830-1876)
登場回数:1作

河原塚 茂太郎(川原塚 茂太郎、かわらづか もたろう、文政13年9月1日(1830年10月17日) - 明治9年(1876年)10月16日)は、幕末の土佐藩士。川原塚重喜の子。名は重幸。廾戊という変名を用いた。 土佐藩徒士格の家に生まれる。文久元年(1861年)武市瑞山が結成した土佐勤王党に加盟し、またその同志糾合に尽力する。元治元年(1864年)南会所への決死建白を行って劣勢に陥った土佐勤王党の挽回を図り、その失敗後の対処にも奔走する。慶応4年(1868年)戊辰戦争では軍事掛徒目付として北越戦争に従軍した。 維新後は讃州金陵会議結、川之江民政局副参事を歴任するも、明治3年(1870年)職を辞して帰国。明治6年(1873年)教部省に出仕し、明治8年(1875年)辞職した。その後は土佐に帰っていたが、明治9年(1876年)国事犯として警視庁に抑留され、そのまま獄死した。 土佐勤王党時代は国事に奔走する中、母や姉の面倒を見るなど、家庭をも顧みていたという。姉の千野は坂本龍馬の兄で郷士坂本家当主の坂本権平に嫁いでおり、川原塚茂太郎に宛てられた龍馬の書翰も残っている。
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花山院師賢

かざんいん もろかた(1301-1332)
登場回数:1作

花山院 師賢(かざんいん もろかた)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。内大臣・花山院師信の二男。官位は正二位・大納言、贈太政大臣。後醍醐天皇の討幕計画に参加したが、幕府に拘束されて配所の下総国で没した。 後醍醐朝の有力歌人であり、『続千載和歌集』以下の勅撰和歌集に14首が入集したほか、准勅撰和歌集『新葉和歌集』にも文貞公(ぶんていこう)の諡号で49首が採られた。
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皆川広照

みながわ ひろてる(1548-1628)
登場回数:1作

皆川 広照(みながわ ひろてる)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。下野皆川城主。下野栃木城主、下野皆川藩主、信濃飯山藩主、常陸府中藩初代藩主。 皆川俊宗の次男。水谷正村は伯父にあたる。処世術に優れ、小勢力ながらも上杉、北条、織田、徳川などのときの権力者を渡り歩き、江戸時代の譜代大名として生き残りに成功した。 山上宗二が関東へ下っていた際に秘伝書である『山上宗二記』を託された1人である事、皆川領内で狂言を催したことから茶道をはじめ、文化的にも造詣が深かった人物と推測される。
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梶原景時

かじわら かげとき(1140-1200)
登場回数:6作

梶原 景時(かじわら かげとき)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の御家人。 石橋山の戦いで源頼朝を救ったことから重用され侍所所司、厩別当となる。当時の東国武士には珍しく教養があり、和歌を好み、「武家百人一首」にも選出されている。源義経と対立した人物として知られるが、頼朝の信任厚く、都の貴族からは「一ノ郎党」「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されていた。鎌倉幕府では頼朝の寵臣として権勢を振るったが、頼朝の死後に追放され一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。
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茅根伊予之介

ちのね いよのすけ(1824-1859)
登場回数:1作

茅根 伊予之介(ちのね いよのすけ、文政7年(1824年) - 安政6年8月27日(1859年9月23日))は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。本姓は藤原氏。家系は常陸国の豪族小野崎氏の一門茅根氏。諱は為宜、泰。字は伯陽、士誠。号は寒緑。
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間光興

はざま みつおき(1678-1703)
登場回数:4作
別名:間十次郎

間 光興(はざま みつおき、延宝6年(1678年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は十次郎もしくは重次郎(じゅうじろう)。
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岩崎美和

いわさき みわ(1814-1900)
登場回数:1作

岩崎 美和(いわさき みわ、文化11年7月20日(1814年9月3日) - 明治33年(1900年)3月14日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての女性。土佐藩地下浪人・岩崎弥次郎の妻。名は三輪、美輪とも。子に三菱財閥創始者・岩崎弥太郎、三菱財閥2代目総帥・岩崎弥之助など。
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