偉人

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吉川広家

きっかわ ひろいえ(1561-1625)
登場回数:5作

吉川 広家(きっかわ ひろいえ)は、戦国時代後期から江戸時代前期にかけての武将。周防国岩国領初代領主。毛利家の家臣。関ヶ原の戦いにて毛利家存続のため、徳川方と内通したことで知られる。
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吉良義周

きら よしちか(1686-1706)
登場回数:4作

吉良 義周(きら よしちか/よしまさ)は、江戸時代前期の高家旗本。吉良義央の孫にして養子。
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宮崎康二

みやざき やすじ(1916-1989)
登場回数:1作

宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月15日 - 1989年(平成元年)12月30日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形、800mリレーの金メダリスト。元・日本水泳連盟理事。
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京極政経

きょうごく まさつね(1453-1502)
登場回数:1作

京極 政経(きょうごく まさつね)は、室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。室町幕府相伴衆、近江・出雲・隠岐・飛騨4ヶ国の守護。京極持清の3男。勝秀、政光は兄、高清は甥(弟とも)。姉妹に畠山政長室。子に経秀(材宗)。官位は従五位下大膳大夫。 次兄・政光と同様、室町幕府第8代将軍足利義政より偏諱の授与を受け、政経と名乗る。また、別名に政高(まさたか)。
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郷御前

さとごぜん(1168-1189)
登場回数:5作

郷御前(さとごぜん、仁安3年〈1168年〉 - 文治5年閏4月30日〈1189年6月15日〉)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。武蔵国の豪族、河越重頼の娘。母は源頼朝の乳母である比企尼の次女(河越尼)。源義経の室(正室)。頼朝の命により義経に嫁ぎ、頼朝と義経が対立したのちも義経の逃避行に従い、最期を共にした女性とされる。 本名は不明だが伝承で郷御前と呼ばれているので、この項目では郷御前として述べる。 故郷である河越(川越市)では、京へ嫁いだ姫である事から京姫(きょうひめ)と呼ばれており、平泉では貴人の妻の敬称である北の方(きたのかた)と呼ばれている。
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近衛前久

このえ さきひさ(1536-1612)
登場回数:6作

近衞 前久(このえ さきひさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿。太政大臣・近衛稙家の子。官位は従一位・関白、左大臣、太政大臣、准三宮。近衛家17代当主。
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近藤廉平

こんどう れんぺい(1848-1921)
登場回数:1作

近藤 廉平(こんどう れんぺい、1848年12月20日(嘉永元年11月25日)- 1921年(大正10年)2月9日)は、幕末から大正期の武士(徳島藩士)、実業家、政治家、華族。男爵、日清汽船社長、日本郵船会社第3代社長、貴族院男爵議員。
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九条基家

くじょう もといえ(1203-1280)
登場回数:1作

九条 基家(くじょう もといえ)は、鎌倉時代中期の公卿・歌人。太政大臣・九条良経の三男。官位は正二位・内大臣。後九条内大臣、または鶴殿と号す。
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櫛橋光

くしはし てる(1553-1627)
登場回数:1作
別名:照福院

櫛橋 光(くしはし てる(みつ))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。播磨国印南郡(現在の兵庫県加古川市志方町)の志方城主・櫛橋伊定の娘。小寺政職の従姪であり養女。筑前福岡藩祖・黒田孝高(官兵衛・如水)の正室。院号は照福院(しょうふくいん)。雅号に幸圓(こうえん)がある。
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刑部卿局

ぎょうぶきょうのつぼね(1570-1661)
登場回数:1作

刑部卿局(ぎょうぶきょうのつぼね、元亀元年(1570年) - 万治4年(1661年))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。千姫の乳母。満徳寺の住職。号は俊澄尼。
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