偉人

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板倉勝静

いたくら かつきよ(1823-1889)
登場回数:9作

板倉 勝静(いたくら かつきよ)は、幕末の大名。備中松山藩7代藩主。板倉宗家13代当主。江戸幕府の奏者番・寺社奉行・老中首座(筆頭)を歴任した。
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樋口兼光

ひぐち かねみつ(?-1184)
登場回数:2作

樋口 兼光(ひぐち かねみつ)は、平安時代末期の武将。中原兼遠の次男。今井兼平の兄。正式な名のりは中原 兼光(なかはら の かねみつ)。木曾義仲の乳母子にして股肱の臣。義仲四天王の一人。信濃国筑摩郡樋口谷(現・木曽町日義)に在して樋口を称した。
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不破光治

ふわ みつはる(?-?)
登場回数:2作

不破 光治(ふわ みつはる、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。斎藤氏・織田氏の家臣。不破直光(勝光)、不破源六の父。太郎左衛門尉・河内守。
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武田元繁

たけだ もとしげ(1467-1517)
登場回数:1作

武田 元繁(たけだ もとしげ)は、日本の戦国時代の武将。安芸武田氏当主。安芸国の分郡守護。智勇に優れた武将で、全盛期には中国の項羽とも並ぶ武勇の持ち主と恐れられたという。
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副田吉成

そえだ よしなり(?-?)
登場回数:4作

副田 吉成(そえだ よしなり)は、安土桃山時代の武将。通称は甚兵衛尉。豊臣秀吉の妹で、後に徳川家康の正室となった朝日姫(南明院)の前夫とされる人物。
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福原貞俊

ふくばら さだとし(1512-1593)
登場回数:1作

福原 貞俊(ふくばら さだとし)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸福原氏11代当主。毛利氏の宿老であった福原広俊の嫡男。上記の福原貞俊(9代当主)の孫にあたり、それにあやかって貞俊と名乗る。生年は永正16年(1519年)説もある。
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平井収二郎

ひらい しゅうじろう(1835-1863)
登場回数:2作

平井 収二郎(ひらい しゅうじろう)は、幕末の土佐藩士。
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平公雅

たいら の きんまさ(?-?)
登場回数:1作

平 公雅(たいら の きんまさ/きみまさ)は、平安時代中期の武将。平良兼の長子。平公正、平公雄、平忠望も同一人物とされる。
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平宗盛

たいら の むねもり(1147-1185)
登場回数:7作

平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将・公卿。平清盛の三男。母は清盛の継室・平時子。時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院(平徳子)は同母妹である。官位は従一位行内大臣。平氏政権の惣管。通称は屋島大臣など。
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平盛子

たいら の もりこ(1156-1179)
登場回数:2作

平 盛子(たいら の もりこ/せいし、保元元年(1156年)- 治承3年6月17日(1179年7月23日))は、摂政・近衛基実の正室(北政所)。父は平清盛、母は不詳。近衛基通の養母。後に高倉天皇准母として准三宮に叙せられ、白河殿・白河准后と号する。
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