偉人

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最上義光

もがみ よしあき(1546-1614)
登場回数:1作

最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。南羽州に勢力を広げ、縁戚である伊達輝宗・政宗と争う。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、慶長出羽合戦にて上杉家の直江兼続を退け、57万石の版図を築く(『徳川実紀』)。
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斎藤弥九郎

さいとう やくろう(1798-1871)
登場回数:1作

斎藤 弥九郎(さいとう やくろう)は、江戸時代後期から幕末にかけての剣術家。流派は神道無念流。幕末江戸三大道場の一つ「練兵館」の創立者。諱は善道(よしみち)。号は篤信斎。本来の表記は「齋藤彌九郎」「篤信齋」。
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細川政元

ほそかわ まさもと(1466-1507)
登場回数:1作

細川 政元(ほそかわ まさもと)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。室町幕府24、26、27、28代管領。摂津国・丹波国・土佐国・讃岐国守護。細川氏12代当主。足利将軍家の10代将軍義材を追放して11代義澄を擁立し、政権を掌握。事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ばれた。 室町幕府の三管領(足利一門の斯波、畠山、細川)である細川氏本家・京兆家の生まれ。父は応仁の乱時に東軍を率いた細川勝元。母は勝元の正室・山名熙貴の娘(養父は山名宗全)とされるが、根拠となる史料は無い。修験道に没頭して女性を近づけず独身を貫いたため実子はおらず、政元をもって細川家の嫡流は途絶え、養子に澄之、澄元、高国がいる。 将軍を挿げ替え(明応の政変)、管領として幕政を牛耳り(京兆専制)、比叡山焼き討ちを行ったり、畿内周辺にも出兵するなど、細川京兆家の全盛期を築き当時日本での最大勢力に広げたが、3人の養子を迎えたことで家督争いが生じ、自らもその争いに巻き込まれる形で家臣に暗殺された(永正の錯乱)。応仁の乱の混乱以来、実力者政元の登場によって小康状態にあった京・畿内周辺は、その死と澄元・高国両派の争いによって再び長期混迷していくこととなる。
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坂本幸

さかもと こう(1796-1846)
登場回数:1作

坂本 幸(さかもと こう、寛政8年(1796年) - 弘化3年6月10日(1846年8月1日))は、土佐藩郷士・坂本直澄の娘。母・久は井上好春の娘 直澄の一人娘として生まれ、坂本家に男子が授からなかったため、やむなく直澄は土佐郡潮江村の郷士・山本家より養子を迎えた。幸の夫となる坂本直足である。のち、その間に2男3女をもうける。直陰(龍馬)は次男にあたる。 名前の読み方については一般的に「こう」であるが、資料によっては「さち」「ゆき」と表記されているものもある。
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三井八郎右衛門

みつい はちろうえもん(1684-1748)
登場回数:1作
別名:三井高房

三井 八郎右衞門(みつい はちろうえもん)は、三井家総領家である北家の当主が代々名乗った名前。
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三好重臣

みよし しげおみ(1840-1900)
登場回数:2作

三好 重臣(みよし しげおみ、1840年11月14日(天保11年10月21日)- 1900年(明治33年)11月28日)は、明治期の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。子爵。幼名は軍太郎。別名は会田春輔。
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三沢初子

みざわ はつこ(1640-1686)
登場回数:1作

三沢 初子(みざわ はつこ、寛永17年(1640年) - 貞享3年2月4日(1686年2月26日))は、仙台藩第3代藩主伊達綱宗の側室。三沢氏とも称す。
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山岸尚家

やまぎし なおいえ(?-?)
登場回数:1作

山岸 尚家(やまぎし なおいえ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家臣。
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山川浩

やまかわ ひろし(1845-1898)
登場回数:2作

山川 浩(やまかわ ひろし、1845年12月4日(弘化2年11月6日) - 1898年(明治31年)2月4日)は、日本の武士(会津藩家老)、陸軍軍人、政治家、教育者。最終階級は陸軍少将、位階勲等・爵位は従三位勲三等・男爵。 陸軍省人員局長 兼 輜重局長、陸軍省総務局制規課長、高等師範学校長、貴族院議員を歴任した。明治初年までの諱は重栄、字は士亮、通称は大蔵(おおくら)、与七郎。号は屠竜子。
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山内盛豊

やまうち もりとよ(1510-1557)
登場回数:1作

山内 盛豊(やまうち もりとよ)は、戦国時代の武将。岩倉織田氏(織田伊勢守家)の家老。尾張黒田城代。
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