偉人

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山本寺定長

さんぽんじ さだなが(1519-?)
登場回数:1作
別名:山本寺景定

山本寺 定長(さんぽんじ さだなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏の家臣。山本寺上杉家当主。不動山城主。
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四条隆資

しじょう たかすけ(1292-1352)
登場回数:1作

四条 隆資(しじょう たかすけ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。四条隆実の子。官位は従一位・大納言、贈左大臣。南朝の実務における中心人物であり、最後は後村上天皇を守るために自ら足利軍と戦って戦死した。
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志道広良

しじ ひろよし(1467-1557)
登場回数:1作

志道 広良(しじ ひろよし)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。通称は太郎三郎、受領名は上野介、大蔵少輔。安芸国志道城主。志道元良の子で、弟に口羽通良(なお、通良は広良の子とする説もある)がいる。子に志道広長、坂元貞など。
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寺村道成

てらむら みちなり(1834-1896)
登場回数:1作

寺村 道成(てらむら みちなり、天保5年6月24日(1834年7月30日) - 明治29年(1896年)7月27日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけての政治家、土佐藩士。寺村氏の一族。通称ははじめ麟三郎、のち左膳。明治維新後は日野春草(春章)と改名した。
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七曲殿

ななまがりどの(?-1603)
登場回数:2作
別名:ふく

七曲殿(ななまがりどの、? ‐ 慶長8年4月18日(1603年5月28日))は、戦国時代の女性。浅野長勝の妻。名はふくと伝わる。父は杉原家利。姉に朝日殿、兄に杉原家次。 長勝との間に子はいないが、朝日殿の子、寧々、長生院、安井重継の子浅野長政を養子とした。 寧々と木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の結婚の際は、姉が反対したが、長勝とともに賛成した。これにより浅野家は出世するようになる。 天正3年(1575年)の長勝の死後も生きており、文禄3年(1594年)の大坂城二の丸にて能の興行でも姉・朝日殿とともにわた五十把をもらっている。 慶長8年(1603年)4月17日には養女・高台院が、豊国神社にて七曲殿の病平癒祈祷をしている。翌日に死去。 戒名は雲亮院宝林妙瑜大姉。位牌・肖像画が高台寺にある。
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車善七

くるま ぜんしち(?-?)
登場回数:1作

車 善七(くるま ぜんしち)は、江戸時代の江戸浅草の非人頭が代々世襲した名前。
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酒井忠勝

さかい ただかつ(1587-1662)
登場回数:1作

酒井 忠勝(さかい ただかつ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。武蔵国川越藩の第2代藩主、後に若狭国小浜藩の初代藩主。第3代将軍・徳川家光から第4代将軍・徳川家綱時代の老中・大老。
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秋月悌次郎

あきづき ていじろう(1824-1900)
登場回数:3作
別名:秋月胤栄

秋月 悌次郎(あきづき ていじろう、文政7年7月2日(1824年7月27日) - 明治33年(1900年)1月5日)は、日本の武士(会津藩士)、教育者。名は胤栄、字は子錫、号は韋軒。明治維新後は、胤永(かずひさ)と名乗る。婿養子・胤継は、漢学者(文学博士、第六高等学校教頭、懐徳堂講師)。
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春山弁蔵

はるやま べんぞう(?-1868)
登場回数:1作

春山 弁蔵(はるやま べんぞう、生年不明 - 明治元年9月18日(1868年11月2日))は、幕末期の幕臣。浦賀奉行所組同心、長崎海軍伝習所第一期生。戊辰戦争の際、咸臨丸副艦長を勤め、品川沖から脱走した。途中嵐に巻き込まれ、清水港に漂着。白旗を掲げるも新政府軍からの攻撃を受け、討死した。 日本初の洋式軍艦鳳凰丸、蒸気軍艦千代田形の設計に従事した有能な技術者であった。
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勝小吉

かつ こきち(1802-1850)
登場回数:1作

勝 小吉(かつ こきち)は、江戸時代後期の旗本。旗本・男谷平蔵の三男。妻は勝甚三郎の娘で、勝家の養子となる。勝海舟の父。
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