偉人

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千葉定吉

ちば さだきち(1812-1879)
登場回数:2作

千葉 定吉(ちば さだきち)は、江戸時代末期(幕末)の鳥取藩藩士、北辰一刀流の剣術家。桶町千葉道場の創設者。
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浅井井規

あざい いのり(?-1573)
登場回数:1作

浅井 井規(あざい いのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。近江の戦国大名・浅井長政の家臣。通称は七郎。
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浅野長勝

あさの ながかつ(?-1575)
登場回数:4作

浅野 長勝(あさの ながかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅野氏当主。父は浅野長詮(または浅野長方)。妻は七曲殿(杉原家利の娘)。通称は又右衛門。
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前田利益

まえだ とします(?-1612)
登場回数:1作

前田 利益(まえだ とします)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。滝川一族の出身だが、尾張荒子城主・前田利久の養子となった。加賀百万石の祖・前田利家は叔父。利益以外にも利貞、利太など、さまざまな名前が伝えられているものの、現在では小説や漫画の影響で前田慶次/慶次郎(まえだ けいじ/けいじろう)の通称で知られる。また穀蔵院飄戸斎(こくぞういん ひょっとこさい)、穀蔵院忽之斎(こくぞういん ひょつとさい)、龍砕軒不便斎(りゅうさいけん ふべんさい)という人を食った道号も伝えられている。さらに『鷹筑波』『源氏竟宴之記』によると、連歌会では「似生」という雅号を用いていた。虚実入り混じった多くの逸話により「天下御免の傾奇者」と囃される一方、高い文化的素養を備えた文人武将でもあった。
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曽呂利新左衛門

そろり しんざえもん(?-?)
登場回数:1作

豊臣秀吉に御伽衆として仕えたといわれる人物。落語家の始祖とも言われ、ユーモラスな頓知で人を笑わせる数々の逸話を残した。堺で刀の鞘を作っていた杉本新左衛門(坂内宗拾)という鞘師で、作った鞘には刀がそろりと合うのでこの名がついたという(『堺鑑』)。架空の人物と言う説や、実在したが逸話は後世の創作という説がある。また、茶人で落語家の祖とされる安楽庵策伝と同一人物とも言われる。
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増田盛次

ました もりつぐ(?-1615)
登場回数:1作

増田 盛次(ました もりつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。別名に宗重。兵部大輔を称した。増田長盛の次男。兄に長勝、弟に新兵衛。
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足利尊氏

あしかが たかうじ(1305-1358)
登場回数:2作
別名:足利高氏

足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)前期の日本の武将。室町幕府初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。鎌倉幕府の御家人。足利貞氏の次男。足利将軍家の祖。姓名は源 尊氏(みなもと の たかうじ)。
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村山龍平

むらやま りょうへい(1850-1933)
登場回数:1作

村山 龍平(むらやま りょうへい、嘉永3年4月3日(1850年5月14日) - 昭和8年(1933年)11月24日)は、日本の新聞経営者。朝日新聞社社主・社長、政治家。衆議院議員、貴族院議員。玉城町名誉町民第1号。
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太田資正

おおた すけまさ(1522-1591)
登場回数:1作

太田 資正(おおた すけまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。太田資頼の子。武蔵国岩付城(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)主、のち常陸国片野城主。
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大賀弥四郎

おおが やしろう(?-1574)
登場回数:2作

大賀 弥四郎(おおが やしろう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。姓は正しくは大岡氏であったとする説もある。
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