偉人

偉人

中山晋平

なかやま しんぺい(1887-1952)
登場回数:1作

中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、校歌や社歌等を含め中山の作品と判明しているものだけで1770曲存在する。 一部の作品は現在も抒情歌または日本歌曲として歌い継がれている。長調の曲はほとんどがヨナ抜き音階で書かれている。また、童謡には「兎のダンス」や「蛙(かはづ)の夜回り」のようなピョンコ節がかなりある。その作品群は独特の曲調から俗に「晋平節」と呼ばれ親しまれている。
偉人

中沢臨川

なかざわ りんせん(1878-1920)
登場回数:1作

中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。
偉人

朝倉景鏡

あさくら かげあきら(1525-1574)
登場回数:2作

朝倉 景鏡(あさくら かげあきら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。朝倉氏一門で、後に織田氏の家臣となる。後に織田信長から一字を貰い受け土橋信鏡(つちはし のぶあきら)と改名した。
スポンサーリンク
偉人

長井雅楽

ながい うた(1819-1863)
登場回数:2作

長井 雅楽(ながい うた、文政2年5月1日〈1819年6月22日〉 - 文久3年2月6日〈1863年3月24日〉)は、日本の江戸時代末期(幕末)の長州藩士。役職は直目付。一般的な呼び名である雅楽は通称で、諱は時庸(ときつね)。 長井家は主家毛利家の庶流安芸福原氏の一族で、毛利家と同じく大江広元が祖先にあたり、毛利家家臣団の中でも名門であった。
偉人

長生院

ちょうせいいん(?-1616)
登場回数:4作
別名:やや/末津姫

長生院(ちょうせいいん)は、戦国時代から江戸時代にかけての女性、尼僧。浅野長政の正室。名は「やや(良々)」または「お祢々」、末津姫(まつひめ)など。晩年は出家して宗玉と名乗る。
偉人

長野業盛

ながの なりもり(1544-1566)
登場回数:1作

長野 業盛/氏業(ながの なりもり/うじなり)は、戦国時代の武将。系譜類には「業盛」の名で伝えられているが、「氏業」の名で伝えられる古文書もある。
偉人

陳元贇

ちんげんひん(1587-1671)
登場回数:1作

陳元贇(読み:ちんげんひん、ちんげんいん、ちんげんぴん(江戸時代の資料から既に様々に「贇」の字を呼んでいる)、1587年(万暦15年) - 1671年7月15日(寛文11年6月9日)は、中国明代末の文人。字は義都、号は既白山人。
偉人

鶴姫

つるひめ(1677-1704)
登場回数:2作

鶴姫(つるひめ、延宝5年3月7日(1677年4月8日) - 宝永元年4月12日(1704年5月15日))は、江戸幕府将軍徳川綱吉の長女。生母は小谷正元の娘お伝の方(瑞春院)。紀州藩主・徳川綱教の御簾中。 1681年に紀州藩嫡子の綱教と縁組し、1685年に婚姻した。1683年に綱吉の世子であった弟の徳松が死去した後、御三家の一人で将軍の姫を娶った綱教が現将軍の婿という立場にあり、甲府宰相・綱豊(将軍綱吉の兄の子)と共に、次期将軍の有力候補になった。しかし、鶴姫は疱瘡のため27歳で死去し、さらにその翌年に綱教も死去した。 法名は明信院殿澄誉恵鑑光燿大姉。墓所は東京都港区の増上寺。
偉人

天璋院

てんしょういん(1836-1883)
登場回数:5作
別名:かつ/源篤子/藤原敬子/篤姫

天璋院(てんしょういん) / 篤姫(あつひめ、天保6年12月19日〈1836年2月5日〉 - 明治16年〈1883年〉11月20日)は、江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった人物。 実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉(いまいずみ)領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫である。 幼名は一(かつ)、その後に、市(いち)。本家当主で従兄・島津斉彬の養女になり本姓と諱は源 篤子(みなもと の あつこ)に、近衛忠煕の養女となった際には藤原 敬子(ふじわら の すみこ)と名を改めた(この際に篤の名は君号となり、篤君〈あつぎみ〉となった)。明治維新後の戸籍上の名前は徳川天璋院である。
偉人

田中光顕

たなか みつあき(1843-1939)
登場回数:4作

田中 光顕(たなか みつあき、1843年11月16日(天保14年閏9月25日) - 1939年(昭和14年)3月28日)は、日本の政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。初名は浜田辰弥。通称を顕助、号は青山。
スポンサーリンク