偉人

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真竜院

しんりゅういん(1550-1647)
登場回数:1作
別名:真理姫

真竜院(眞龍院、しんりゅういん、天文19年(1550年) - 正保4年7月7日(1647年8月7日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。武田信玄の三女で、木曾義昌の正室。俗名は真理姫(まりひめ)と伝わる。兄に武田義信、武田勝頼がいる。
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人見絹枝

ひとみ きぬえ(1907-1931)
登場回数:1作

人見 絹枝(ひとみ きぬえ、1907年〈明治40年〉1月1日 - 1931年〈昭和6年〉8月2日)は、岡山県御津郡(現:岡山市南区)出身の陸上競技選手、ジャーナリスト。日本人女性初のオリンピックメダリスト。100m、200m、走幅跳の元世界記録保持者。(100m、200mについては非公認)
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吹浦忠正

ふきうら ただまさ(1941-)
登場回数:1作

吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の評論家、旗章学者。バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。
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杉浦久勝

すぎうら ひさかつ(1539-1600)
登場回数:1作

杉浦 久勝(すぎうら ひさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。徳川家康の家臣で、大久保忠世・忠隣2代に属した。
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菅沼定盈

すがぬま さだみつ(1542-1604)
登場回数:2作

菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。野田菅沼氏3代目当主。上野阿保藩主。
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星野直樹

ほしの なおき(1892-1978)
登場回数:1作

星野 直樹(ほしの なおき、1892年(明治25年)4月10日 - 1978年(昭和53年)5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 満州国では国務院総務長官として腕を振るい、満州国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東条内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。
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清原光頼

きよはら の みつより(?-?)
登場回数:1作

清原 光頼(きよはら の みつより、生没年不詳)は、平安時代後期の武将。出羽の豪族・清原光方の子。姓は真人。源氏の源頼義と安倍氏の戦いである前九年の役時は当初は中立の立場を保っていたが、劣勢にある頼義の度重なる要求を聞き入れ、参戦。弟・清原武則を遣わした。この清原氏の参戦により、形勢は逆転。源氏を勝利へと導き、清原氏を東北の覇者へと押し上げた。この清原氏の覇権は後三年の役(永保3年(1083年) - 応徳4年、寛治元年(1087年))まで続くことになる。
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生駒吉乃

いこま きつの(1528-1566)
登場回数:4作

生駒 吉乃(いこま きつの、享禄元年(1528年)? - 永禄9年5月13日(1566年5月31日))は、戦国時代の女性。織田信長の側室で、信忠(諸説あり)・信雄・徳姫(諸説あり)の母とされる。法名は久菴桂昌大禅定尼。名は『前野家文書』では吉乃(吉野)とされるが実名ではない。当時の女性の例に漏れず信頼の於ける資料が真偽論争のある前野家文書以外に殆ど残されていない。
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西郷寅太郎

さいごう とらたろう(1866-1919)
登場回数:2作

西郷 寅太郎(さいごう とらたろう、1866年8月21日(慶応2年7月12日) - 1919年(大正8年)1月1日)は、日本の華族、陸軍軍人。習志野俘虜収容所長・貴族院議員等を務める。階級・栄典は陸軍歩兵大佐従三位勲二等功五級侯爵。 陸軍大将西郷隆盛の嫡男で、母は糸子。妻は園田実徳の子・信子。元帥海軍大将西郷従道侯爵は叔父にあたる。庶兄の菊次郎は宜蘭支庁郡守、京都市長などを務める。
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青山忠俊

あおやま ただとし(1578-1643)
登場回数:3作

青山 忠俊(あおやま ただとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川幕府譜代大名。常陸国江戸崎藩の第2代藩主、武蔵国岩槻藩主、上総国大多喜藩主。青山家宗家10代。官位は従五位下・伯耆守。徳川家光へのたびたびの諫言のため改易となる。
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