偉人

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貞鏡院

ていきょういん(1834-1885)
登場回数:2作

貞鏡院(ていきょういん、天保5年(1834年) - 明治18年(1885年)1月25日)は、近江彦根藩主・井伊直弼の正室。
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伝為晃運

でんい こううん(?-1573)
登場回数:1作

伝為 晃運(でんい こううん、生年不詳 - 天正元年(1573年))は、戦国時代の禅僧。長野県真田山長谷寺の開山。 『長国寺書上』に拠れば、元は上野国後閑の長源寺の僧侶だった。天文10年(1541年)、武田信虎・諏訪頼重・村上義清による海野平の戦いで滋野氏の一族は敗北し、上野国の関東管領・上杉憲政を頼り上野へ亡命する。伝為晃運は長源寺に寄宿していた滋野氏の一族・真田幸綱(幸隆)と知り合う。天文16年(1547年)、幸綱は甲斐国の武田信玄に仕えて本領を回復し、伝為晃運は幸綱に招かれ真田家の菩提寺として真田山長谷寺の開山となった。
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田中新兵衛

たなか しんべえ(1832-1863)
登場回数:3作

田中 新兵衛(たなか しんべえ)は、幕末の薩摩藩士。諱は雄平。尊王攘夷派で、幕末の四大人斬りの一人。
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渡辺崋山

わたなべ かざん(1793-1841)
登場回数:1作
別名:渡辺定静

渡辺 崋山(わたなべ かざん)は、江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩士・家老。通称は登(のぼり)、諱は定静(さだやす)。号の崋山ははじめ華山で、35歳ころ改めた。別号は全楽堂、寓画堂など。贈正四位。1839年に幕府によって罰せられた(蛮社の獄)。
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土岐頼稔

とき よりとし(1695-1744)
登場回数:1作

土岐 頼稔(とき よりとし)は、江戸時代中期の大名。駿河国田中藩の第2代藩主、上野国沼田藩の初代藩主。沼田藩土岐家4代。官位は従四位下丹後守、侍従。
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島村抱月

しまむら ほうげつ(1871-1918)
登場回数:1作

島村 抱月(しまむら ほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)- 1918年(大正7年)11月5日)は、日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の先駆けの一人として知られる。旧姓は佐々山、本名は瀧太郎。
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島津宗信

しまづ むねのぶ(1728-1749)
登場回数:1作

島津 宗信(しまづ むねのぶ)は、江戸時代中期の大名。島津氏23代当主。薩摩藩6代藩主。
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東胤頼

とう たねより(1155-1228)
登場回数:2作
別名:千葉胤頼

東 胤頼(とう たねより)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。千葉氏の一族。千葉常胤の六男。東氏、遠藤氏の祖。胤頼は六男であり従五位の別称大夫を付し、東六郎大夫と称した。
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藤井徳昭

ふじい のりあき(?-1695)
登場回数:2作

藤井 徳昭(ふじい のりあき、? - 元禄7年11月23日(1695年1月8日))は、水戸藩家老。
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藤原経子

ふじわら の けい(?-?)
登場回数:2作

藤原 経子(ふじわら の けいし / つねこ、生没年不詳)は、平安時代末期の女官。父は中納言・藤原家成。兄弟に藤原隆季・成親がおり、成親は同母兄と見られている。左大臣・大炊御門経宗の猶子。 平重盛の正室となり、清経・有盛・師盛・忠房を産む。仁安元年(1166年)、叙爵。同年10月、憲仁親王の立太子にあたり、乳母に選ばれた。仁安3年(1168年)、高倉天皇即位により、従五位上・典侍となる。嘉応元年(1169年)11月の八十嶋祭では、勅使役を務めた。夫・重盛の官位から、大納言典侍、大納言三位と呼ばれた(ただし、従三位に叙された時期は不明)。承安元年(1171年)以降の記録は見られないが、重盛没後も存命であり、その後出家したものと推測される。
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