偉人中条家忠 ちゅうじょう いえただ(?-1577)登場回数:1作中条 家忠(ちゅうじょう いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。三河国八草城・広見城主。一般には中条将監として知られる。 2020.09.01偉人
偉人中島宗求 なかじま むねもと(1552-1622)登場回数:1作中島 宗求(なかじま むねもと)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。伊達氏家臣。 陸奥国伊達郡保原城主。のち伊具郡金山城主。 2020.09.01偉人
偉人朝倉孝景 あさくら たかかげ(1428-1481)登場回数:1作朝倉 孝景(あさくら たかかげ)は、室町時代中期の武将。朝倉氏の7代目当主。当初は祖父や父も名乗った教景(のりかげ)を名乗り、次いで敏景(としかげ)→教景→孝景の順で改名している。よって同名の曾孫と区別するために代表的な名乗りの1つである「朝倉敏景」(あさくら としかげ)と表記する事がある。また、法名から「英林孝景(えいりんたかかげ)」と呼ばれることも多い。以下、本項においては原則「孝景」で統一する。 2020.09.01偉人
偉人長井利隆 ながい としたか(1445-1515)登場回数:1作長井 利隆(ながいとしたか) / 斎藤 利隆(さいとう としたか、生没年不明)は、戦国時代の武将。父は斎藤利安、または斎藤妙純。法名は清康宗所。娘に氏家直元の母(氏家行隆室)。子は長井長弘。 2020.09.01偉人
偉人長岌 ちょうきゅう(1542-?)登場回数:2作長岌(ちょうきゅう、天文11年(1542年) - ?)は、戦国時代の人物。諏訪氏当主の諏訪頼重と武田信玄の妹・禰々の嫡子。幼名・寅王丸、後に千代宮丸と改名。 2020.09.01偉人
偉人津川義冬 つがわ よしふゆ(?-1584)登場回数:2作別名:津川雄光津川 義冬(つがわ よしふゆ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。松ヶ島城城主。名は義永とも。 本姓は源氏。足利氏の一門で室町幕府三管領筆頭の斯波氏の血筋である。斯波氏傍流の津川氏を称する。 なお、「続群書類従 巻百十三」の『武衛系図』では諱は近治、官位は従五位下、通称は玄蕃允とする。 また、「廓坊文書」所収の某年九月朔日付の「津川玄蕃允雄光・滝川三郎兵衛一盛連署書状」が残されているが、滝川一盛は滝川雄利の天正10年(1582年)・11年(1583年)前後の名乗りである事から、この書状はその頃の作成文書で、義冬は織田信雄から偏諱を与えられて雄光と改名したとみられる。 2020.09.01偉人
偉人庭田嗣子 にわた つぐこ(1820-1867)登場回数:1作庭田 嗣子(にわた つぐこ、文政3年(1820年) - 慶応3年11月9日(1867年12月4日))は、仁孝天皇の典侍。法名は清実院。 2020.09.01偉人
偉人田丸稲之衛門 たまる いなのえもん(1805-1865)登場回数:2作田丸 稲之衛門(たまる いなのえもん)は、幕末期の水戸藩士・志士。 水戸天狗党の乱において天狗党の首領として各地を転戦。越前国敦賀にて処刑された。 2020.09.01偉人
偉人田中隆吉 たなか りゅうきち(1893-1972)登場回数:1作田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与していた。太平洋戦争開戦時には陸軍省兵務局長であったため、対米作戦について関与することはなく予備役とされ、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、検事側の証人として被告に不利な証言もした。また、驚異的な記憶力の持ち主で、これらが東京裁判において発揮された。 2020.09.01偉人