偉人

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中条家忠

ちゅうじょう いえただ(?-1577)
登場回数:1作

中条 家忠(ちゅうじょう いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。三河国八草城・広見城主。一般には中条将監として知られる。
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中島宗求

なかじま むねもと(1552-1622)
登場回数:1作

中島 宗求(なかじま むねもと)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。伊達氏家臣。 陸奥国伊達郡保原城主。のち伊具郡金山城主。
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朝倉孝景

あさくら たかかげ(1428-1481)
登場回数:1作

朝倉 孝景(あさくら たかかげ)は、室町時代中期の武将。朝倉氏の7代目当主。当初は祖父や父も名乗った教景(のりかげ)を名乗り、次いで敏景(としかげ)→教景→孝景の順で改名している。よって同名の曾孫と区別するために代表的な名乗りの1つである「朝倉敏景」(あさくら としかげ)と表記する事がある。また、法名から「英林孝景(えいりんたかかげ)」と呼ばれることも多い。以下、本項においては原則「孝景」で統一する。
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長井利隆

ながい としたか(1445-1515)
登場回数:1作

長井 利隆(ながいとしたか) / 斎藤 利隆(さいとう としたか、生没年不明)は、戦国時代の武将。父は斎藤利安、または斎藤妙純。法名は清康宗所。娘に氏家直元の母(氏家行隆室)。子は長井長弘。
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長谷川宗仁

はせがわ そうにん(1539-1606)
登場回数:4作

長谷川 宗仁(はせがわ そうにん)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、茶人、画家。
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長岌

ちょうきゅう(1542-?)
登場回数:2作

長岌(ちょうきゅう、天文11年(1542年) - ?)は、戦国時代の人物。諏訪氏当主の諏訪頼重と武田信玄の妹・禰々の嫡子。幼名・寅王丸、後に千代宮丸と改名。
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津川義冬

つがわ よしふゆ(?-1584)
登場回数:2作
別名:津川雄光

津川 義冬(つがわ よしふゆ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。松ヶ島城城主。名は義永とも。 本姓は源氏。足利氏の一門で室町幕府三管領筆頭の斯波氏の血筋である。斯波氏傍流の津川氏を称する。 なお、「続群書類従 巻百十三」の『武衛系図』では諱は近治、官位は従五位下、通称は玄蕃允とする。 また、「廓坊文書」所収の某年九月朔日付の「津川玄蕃允雄光・滝川三郎兵衛一盛連署書状」が残されているが、滝川一盛は滝川雄利の天正10年(1582年)・11年(1583年)前後の名乗りである事から、この書状はその頃の作成文書で、義冬は織田信雄から偏諱を与えられて雄光と改名したとみられる。
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庭田嗣子

にわた つぐこ(1820-1867)
登場回数:1作

庭田 嗣子(にわた つぐこ、文政3年(1820年) - 慶応3年11月9日(1867年12月4日))は、仁孝天皇の典侍。法名は清実院。
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田丸稲之衛門

たまる いなのえもん(1805-1865)
登場回数:2作

田丸 稲之衛門(たまる いなのえもん)は、幕末期の水戸藩士・志士。 水戸天狗党の乱において天狗党の首領として各地を転戦。越前国敦賀にて処刑された。
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田中隆吉

たなか りゅうきち(1893-1972)
登場回数:1作

田中 隆吉(たなか りゅうきち、1893年(明治26年)7月9日 - 1972年(昭和47年)6月5日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 第一次上海事変(1932年)・綏遠事件(1936年)において主導的役割を果たし、日本軍の数々の謀略に直接関与していた。太平洋戦争開戦時には陸軍省兵務局長であったため、対米作戦について関与することはなく予備役とされ、極東国際軍事裁判(東京裁判)において、検事側の証人として被告に不利な証言もした。また、驚異的な記憶力の持ち主で、これらが東京裁判において発揮された。
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