偉人

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三浦胤義

みうら たねよし(?-1221)
登場回数:2作

三浦 胤義(みうら たねよし)は、鎌倉時代前期の三浦一族の武将。三浦義澄の末子(九男)。鎌倉幕府の御家人。承久3年(1221年)の承久の乱では京方の主力として戦った。
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三好長慶

みよし ながよし(1522-1564)
登場回数:3作

三好 長慶(みよし ながよし)は、戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津国守護代、相伴衆。 細川政権を事実上崩壊させ、室町幕府将軍・足利義晴、足利義輝共々京都より放逐し、三好政権を樹立する。その後は足利義輝、六角義賢、畠山高政らと時に争い、時に和議を結び畿内の支配者として君臨した。
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三島弥彦

みしま やひこ(1886-1954)
登場回数:1作

三島 弥彦(みしま やひこ、1886年(明治19年)2月23日 - 1954年(昭和29年)2月1日)は、明治期の陸上選手、銀行家。日本初のオリンピック代表選手として1912年開催のストックホルムオリンピックにマラソンの金栗四三と共に参加した。名前は彌彦とも書かれる。父は警視総監の三島通庸、兄に銀行家の三島彌太郎、甥に三島通陽がいる。妻は鍋島直柔の五女・文子。
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山県昌景

やまがた まさかげ(1515-1575)
登場回数:8作
別名:飯富源四郎/飯富昌景

山県 昌景/山縣 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。
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山川二葉

やまかわ ふたば(1844-1909)
登場回数:1作

山川 二葉(やまかわ ふたば、弘化元年8月19日(1844年9月30日) - 明治42年(1909年)11月14日)は、日本の教育者 。
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山内豊範

やまうち とよのり(1846-1886)
登場回数:1作

山内 豊範(やまうち とよのり)は、江戸時代末期の大名。土佐藩第16代(最後)の藩主。爵位は侯爵。三条実美の従弟にあたる。
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山本照

やまもと てる(1902-1998)
登場回数:1作

山本 照(やまもと てる、1902年11月18日 - 1998年10月27日)は、愛知県出身のNHKアナウンサーである。日本の相撲中継において、松内則三に続く2人目のアナウンサーであった。
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四辻季遠

よつつじ すえとお(1513-1575)
登場回数:1作

四辻 季遠(よつつじ すえとお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・書家。権大納言・四辻公音の次男。官位は正二位・権大納言。四辻家11代当主。孫娘に上杉景勝の側室桂岩院、後水尾天皇の寵姫・四辻与津子等がいる。
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斯波義銀

しば よしかね(1540-1600)
登場回数:2作

斯波 義銀(しば よしかね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。本姓は源氏。斯波氏(武衛家)15代(最後)当主 。 尾張守護・斯波義統の嫡男。祖父・義達の猶子または養子となって家督を継いだとする説もある。弟に毛利秀頼(異説あり)、蜂屋謙入(異説あり)、津川義冬。幼名は岩竜丸。織田信長に服属後は、尾張守護であった斯波氏を称することを憚り津川 義近(つがわ よしちか)と改めた(実弟の津川義冬も同様)。入道して三松軒 と号した。斯波義康(長男、大蔵)、津川近利(次男)、津川辰珍(三男)、津川近治(四男、別名:親行)、女子(長女、信長の甥である織田信重妻)など4男2女がいる。
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寺島宗則

てらしま むねのり(1832-1893)
登場回数:3作

寺島 宗則(てらしま むねのり、1832年6月21日(天保3年5月23日)- 1893年(明治26年)6月6日)は、日本の政治家。爵位は伯爵。元は松木 弘安(まつき こうあん)。通称は寺島改姓後に陶蔵と名乗った。日本の電気通信の父と呼ばれる。第4代外務卿として活躍した。
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