偉人

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徳川家茂

とくがわ いえもち(1846-1866)
登場回数:10作
別名:菊千代/徳川慶福

徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代将軍(在任:1859年 - 1866年)。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を受け、慶福(よしとみ)と名乗っていた。 実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたる。将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主であった。 徳川斉順(清水徳川家および紀州徳川家の当主)の嫡男であるが、父は家茂が生まれる前に薨去している。祖父は第11代将軍徳川家斉、祖母は妙操院。御台所は孝明天皇の皇妹・親子内親王(静寛院宮)。第13代将軍・徳川家定の後継者問題が持ち上がった際、家定の従弟にあたる慶福は徳川家一門の中で将軍家に最も近い血筋であることを根拠に、大老で譜代筆頭の彦根藩主井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となった。
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徳川綱條

とくがわ つなえだ(1656-1718)
登場回数:2作

徳川 綱条(とくがわ つなえだ、旧字体德川 綱條)は、江戸時代中期における常陸水戸藩の第3代藩主。
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徳川茂徳

とくがわ もちなが(1831-1884)
登場回数:1作

徳川 茂徳(とくがわ もちなが)は、江戸時代後期の大名。美濃国高須藩11代藩主、尾張藩15代藩主、一橋徳川家10代当主。高須藩時代は松平 義比(まつだいら よしちか)、尾張藩時代は徳川茂徳、一橋家時代は徳川 茂栄(とくがわ もちはる)を名乗った。隠居号の玄同(げんどう)の名でも知られる。
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内貴甚三郎

ないき じんざぶろう(1848-1926)
登場回数:1作

内貴 甚三郎(ないき じんざぶろう、1848年11月16日〈嘉永元年10月21日〉 - 1926年〈大正15年〉7月9日)は、日本の政治家、実業家。京都織物、京都商工銀行の取締役を歴任する。衆議院議員(1期、大同倶楽部)、初代官選京都市長、京都商業会議所会頭。
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鍋島元茂

なべしま もとしげ(1602-1654)
登場回数:1作

鍋島 元茂(なべしま もとしげ)は、江戸時代前期の大名。通称は三平。肥前国小城藩初代藩主。官位は従五位下・紀伊守。
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楠木正季

くすのき まさすえ(?-1336)
登場回数:1作

楠木 正季(くすのき まさすえ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。河内国の豪族・楠木正成の弟。七郎・帯刀と称した。
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二条斉敬

にじょう なりゆき(1816-1878)
登場回数:5作

二条 斉敬(にじょう なりゆき)は、江戸時代後期から明治時代にかけての公卿。左大臣・二条斉信の次男。官位は従一位、関白、左大臣。二条家26代当主。日本史上最後の関白であり、人臣としては最後の摂政。茶の湯を嗜み、自作の茶杓などが現存している。
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日秀尼

にっしゅうに(1534-1625)
登場回数:5作
別名:智子/瑞龍院

日秀尼(にっしゅうに)は、安土桃山時代から江戸時代の日蓮宗の尼僧。瑞龍寺中興三大比丘尼の1人。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の同父姉、秀長と朝日姫の異父姉。夫は三好吉房で、秀次・秀勝・秀保の生母。 諱は智(とも)。位記上の本名は智子(ともこ)とされる。日秀は出家後の法名(法諱)。字は妙慧(みょうえ)。道号は村雲で、通称に村雲尼(そんうんに)。院号は瑞龍院(ずいりゅういん)。記事名は便宜上、日秀尼としているが、僧侶名は正しくは「瑞龍院妙慧日秀」公。
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入江稔夫

いりえ としお(1911-1974)
登場回数:1作

入江 稔夫(いりえ としお、1911年(明治44年)11月5日 - 1974年(昭和49年)5月8日)は、日本の水泳選手。大阪府高槻市出身。1932年ロサンゼルスオリンピック100メートル背泳ぎで銀メダルを獲得。
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梅津美治郎

うめづ よしじろう(1882-1949)
登場回数:2作

梅津 美治郎(うめづ よしじろう、1882年〈明治15年〉1月4日 - 1949年〈昭和24年〉1月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。栄典は正三位勲一等功二級。 極東国際軍事裁判(東京裁判)で終身刑の判決を受け、服役中に獄中死。1978年(昭和53年)に靖国神社に合祀される。
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