偉人

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海北友松

かいほう ゆうしょう(1533-1615)
登場回数:2作

海北 友松(かいほう ゆうしょう、天文2年(1533年) - 慶長20年6月2日(1615年6月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江(現在の滋賀県)の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。
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覚樹院

かくじゅいん(1697-1777)
登場回数:1作

覚樹院(かくじゅいん、元禄10年(1697年) - 安永6年11月28日(1777年12月27日))は、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の側室。俗名は久免(くめ)。
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樺山資紀

かばやま すけのり(1837-1922)
登場回数:1作

樺山 資紀(かばやま すけのり、天保8年11月12日(1837年12月9日) - 大正11年(1922年)2月8日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級伯爵。薩摩藩士・橋口与二郎の三男、樺山四郎左衛門の養嗣子。 警視総監(第3代)、海軍大臣(第2代)、海軍軍令部長(第6代)、台湾総督(初代)、枢密顧問官、内務大臣(第15代)、文部大臣(第14代)を歴任した。
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勧修寺光豊

かじゅうじ みつとよ(1576-1612)
登場回数:1作

勧修寺 光豊(かじゅうじ みつとよ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての公卿。官位は従二位・権大納言、贈内大臣。
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関口親永

せきぐち ちかなが(1518-1562)
登場回数:2作
別名:関口氏純

関口 親永・瀬名 義広(せきぐち ちかなが/せな よしひろ)は、戦国時代の武将。今川刑部少輔家(今川関口家)の当主で駿河今川氏の有力家臣。主君今川氏親から偏諱を受けて親永に改める(ただし、現存文書の署名は氏純となっている)。駿河持船城主。妻は今川義元の妹(養妹とも)とされるが、実兄の瀬名氏俊の話の誤伝とする説もある。徳川家康の正室・築山殿の父に当たる。
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岩倉具視

いわくら ともみ(1825-1883)
登場回数:11作
別名:周丸

岩倉 具視(いわくら ともみ、1825年10月26日(文政8年9月15日)- 1883年(明治16年)7月20日)は、日本の公家、政治家。雅号は対岳。謹慎中の法名は友山。補職・位階・勲等は、贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。
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鬼庭綱元

おににわ つなもと(1549-1640)
登場回数:1作

鬼庭 綱元(おににわ つなもと) / 茂庭 綱元(もにわ つなもと)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。陸奥・出羽の戦国大名であった仙台藩主伊達家の重臣。
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義姫

よしひめ(1548-1623)
登場回数:1作
別名:保春院

義姫(よしひめ、天文17年(1548年、1547年とも) - 元和9年7月17日(1623年8月13日))は、出羽国の戦国大名最上義守の娘。最上義光の2歳下の妹にあたる。伊達輝宗の正室で、伊達政宗の母。通称は米沢城の東館に住んだことからお東の方や最上御前とも呼ばれた。出家後の院号は保春院。
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吉川経世

きっかわ つねよ(?-?)
登場回数:1作

吉川 経世(きっかわ つねよ)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏の一門。後に毛利氏の家臣。
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吉田稔麿

よしだ としまろ(1841-1864)
登場回数:7作

吉田 稔麿(よしだ としまろ)は、江戸時代末期(幕末)の長州藩の活動家。名は栄太郎。後に稔麿と改名。 久坂玄瑞、高杉晋作とともに松陰門下の三秀と称され、さらに入江九一を入れて松門四天王ともいう。
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