偉人

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関鉄之介

せき てつのすけ(1824-1862)
登場回数:4作

関 鉄之介(せき てつのすけ、文政7年10月17日(1824年12月7日) - 文久2年5月11日(1862年6月8日))は、幕末の勤王志士で、水戸藩士。桜田門外の変における実行部隊の指揮者で、桜田十八士の一人。三好貫太郎という変名を持つほか、遠・士任・錦堆・桜園・楓巷・丹楓などの別称を持つ。家紋は揚羽蝶。
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岩村高俊

いわむら たかとし(1845-1906)
登場回数:1作

岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(1845年12月8日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の江戸時代後期から明治期の武士(土佐藩士)、官僚、華族である。初名は精一郎。 宿毛領主伊賀家に仕えた岩村英俊(礫水)の三男で、岩村通俊、林有造の弟。位階勲等は従二位、勲二等、男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造。
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亀の前

かめのまえ(?-?)
登場回数:4作

亀の前(かめのまえ、生没年不詳)は平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。良橋太郎入道の娘。源頼朝の愛妾。
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菊池武房

きくち たけふさ(1245-1285)
登場回数:1作

菊池 武房(きくち たけふさ)は、鎌倉時代中期の武将。菊池氏の第10代当主。第9代当主・菊池隆泰の三男。蒙古襲来に際して一族を挙げて戦い、その活躍が『蒙古襲来絵詞』に描かれている。
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吉川元春

きっかわ もとはる(1530-1586)
登場回数:3作

吉川 元春(きっかわ もとはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の次男。母は吉川国経の娘・妙玖。同母の兄弟に兄の毛利隆元、弟の小早川隆景、その他異母の兄弟が多くいる。 父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続した。以後、毛利両川の一人として、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げ、主に山陰地方の司令官として貢献した。
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吉野太夫

にだいめよしのたゆう(1606-1643)
登場回数:1作

二代目吉野太夫(にだいめよしのたゆう、本名:松田徳子、慶長11年3月3日(1606年4月10日) - 寛永20年8月25日(1643年10月7日)) は六条三筋町(後に島原に移転)の太夫。生まれは京都の方広寺近くと伝えられる。実父はもと西国の武士であったとも。 六条三筋町「七人衆」の筆頭。また夕霧太夫、高尾太夫とともに寛永三名妓といわれる。彼女の命日は吉野忌として俳句の季語にもある。
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久保姫

くぼひめ(1521-1594)
登場回数:1作
別名:杉目御前/笑窪御前

久保姫(くぼひめ、大永元年(1521年) - 文禄3年6月9日(1594年7月26日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。伊達晴宗の正室。岩城重隆の長女。通称は杉目御前、笑窪御前。
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京極高知

きょうごく たかとも(1572-1622)
登場回数:1作

京極 高知(きょうごく たかとも)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。丹後国宮津藩(宮津城)初代藩主。高知流京極家の祖。
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興雲院

きょううんいん(?-1612)
登場回数:2作
別名:お鍋の方

興雲院(きょううんいん、? - 慶長17年6月25日(1612年7月23日))は、織田信長の側室の一人。 近江国野洲郡北里村の土豪・高畑源十郎の四女。通称はお鍋の方(おなべのかた)。しかしながら、お鍋宛の書状の宛先は「小倉」「小椋」などとなっており、系譜類では「小倉三河守女」との記録も残り、当時の女性は実家の姓を名乗る事から、高畑氏であると言う説には疑問が残る。また、本能寺の変後、お鍋が実家の小倉氏の元に戻っていたとする文献もある。
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近衛信尋

このえ のぶひろ(1599-1649)
登場回数:1作

近衞 信尋(このえ のぶひろ)は、江戸時代前期の公卿。後陽成天皇の第四皇子。官位は従一位・関白、左大臣。近衞信尹の養子となり、近衞家19代目当主となる。これにより近衞家は皇別摂家となった。
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