偉人

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今井宗薫

いまい そうくん(1552-1627)
登場回数:2作

今井 宗薫(いまい そうくん、天文21年(1552年) - 寛永4年4月11日(1627年5月25日))は、安土桃山時代・江戸時代の人物。茶人今井宗久の子。本名は兼久。官名を帯刀左衛門、号は別に単丁斎とした。
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佐々政次

さっさ まさつぐ(1522-1560)
登場回数:2作

佐々 政次(さっさ まさつぐ)は、戦国時代の武将。織田氏の家臣。尾張国井関城主。佐々成政の長兄。通称は隼人正。諱は「政次」で通っているが、文書上の裏付けはない。系図には「成吉」「勝通」ともある。 天文8年(1539年)8月、織田信秀に仕える。同11年(1542年)三河国小豆坂の戦いで弟・孫介と共に功名し、小豆坂七本槍に数えられる。 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いの序盤に、織田信長が善照寺砦に到着したのを見て、千秋季忠と共に今川義元軍に攻撃をかけ討死した。 なお、長男の清蔵は織田信忠に仕え、成政の娘輝子を娶るが、本能寺の変で討死した。
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佐久間信栄

さくま のぶひで(1556-1632)
登場回数:1作

佐久間 信栄(さくま のぶひで)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。佐久間信盛の長男。剃髪後は不干斎と号した。諱は正勝(まさかつ)とも伝えられるが、信頼できる史料は信栄としている。
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佐藤彦五郎

さとう ひこごろう(1827-1902)
登場回数:1作

佐藤 彦五郎(さとう ひこごろう、文政10年9月25日(1827年11月14日) - 明治35年(1902年)9月17日)は、日本の村役人(名主)。下佐藤家当主で、日野宿組合名主。江戸幕府の京都警備組織である新選組の後援者で、多摩地域の指導者。初代南多摩郡長。雅号は春日庵盛車。明治維新後は俊正を名乗る。
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妻木重直

つまき しげなお(1604-1683)
登場回数:1作

妻木 重直(つまき しげなお、慶長9年(1604年) - 天和3年3月27日(1683年4月23日))は江戸時代前期の旗本(3000石)。妻木貞徳の3男の妻木重吉の子。下郷妻木家2代目。通称は伝兵衛、彦右衛門。別名に頼熊(よりくま、重直より改名)。室は真田昌幸の6女・清光院。弟に重門。子に頼保(長男、奈良奉行を務める)、幸頼(次男、旗本真田幸吉の婿養子。幸吉は旗本の真田幸政の子)
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斎藤龍興

さいとう たつおき(1548-1573)
登場回数:5作

斎藤 龍興(さいとう たつおき)は、戦国時代の美濃国の戦国大名。道三流斎藤家3代(美濃一色家2代)。
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細川幽斎

ほそかわ ゆうさい(1534-1610)
登場回数:14作
別名:細川藤孝

細川 幽斎(ほそかわ ゆうさい) / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、戦国大名、歌人。幼名は万吉(まんきち)。元服して藤孝を名乗る。雅号は幽斎。法名を玄旨という。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍・足利義昭の擁立に尽力した。後に義昭が信長に敵対して京都を追われると、信長に従って名字を長岡に改め、勝竜寺城主を経て丹後国宮津11万石の大名となった。本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲ったが、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎となった。また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもあった。
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坂本龍馬

さかもと りょうま(1836-1867)
登場回数:11作
別名:才谷梅太郎/坂本直柔/坂本竜馬

坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈グレゴリオ暦1836年1月3日〉 - 慶応3年11月15日〈グレゴリオ暦1867年12月10日〉)は、日本の幕末の土佐藩士、志士、経営者。諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬。他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある。
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三浦義村

みうら よしむら(1160-1239)
登場回数:3作

三浦 義村(みうら よしむら)は、鎌倉時代初期の相模国の武将。鎌倉幕府の有力御家人。桓武平氏良文流三浦氏の当主・三浦義澄の次男(嫡男)。
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三条の方

さんじょうのかた(1521-1570)
登場回数:3作

三条の方(さんじょうのかた、大永元年(1521年)? - 元亀元年7月28日(1570年8月29日))は、甲斐国の戦国大名である武田信玄(晴信)の継室である。左大臣・三条公頼の次女。姉には細川晴元室、妹には顕如の妻の如春尼がいる。子には武田義信、黄梅院(北条氏政室)、海野信親、信之、見性院(穴山梅雪室)がいる。本名は不詳。一般には三条の方、三条夫人などと称される。
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