偉人

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深沢利重

ふかざわ とししげ(?-?)
登場回数:1作

深沢 利重(ふかざわ とししげ)は、安土桃山時代の武将。上杉氏の家臣。
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真木島昭光

まきしま あきみつ(?-1646)
登場回数:1作

真木島 昭光(まきしま あきみつ、槇嶋昭光(まきのしま あきみつ とも))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。足利将軍家、豊臣氏の家臣。 宇治槙島城主でもある。実名は槙島(槇島)昭光と表記されることが多い。
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秦公春

はた の きみはる(?-1152)
登場回数:1作

秦 公春(はた の きみはる)は、平安時代末期の官人。秦武則の子。官職は左近衛府生。左大臣藤原頼長の随身で、頼長の男色の相手として知られる。
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諏訪頼篤

すわ よりあつ(1661-1753)
登場回数:1作

諏訪 頼篤(すわ よりあつ、寛文元年6月26日(1661年7月22日) - 宝暦3年5月19日(1753年6月20日))は、江戸時代の旗本。 高島藩初代藩主・諏訪頼水の次男・諏訪頼郷による分家。諏訪頼常(頼郷の子)の長男。通称は午之助、七左衛門。官位は従五位下・肥後守、後に美濃守。室は正木時清(内藤能登守家臣)の娘。子に頼均(婿養子、内藤信有3男)、頼均室、忠林、盛恭(諏訪盛就養子)、頼弼、江原寅親室。
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瑞春院

ずいしゅんいん(1658-1738)
登場回数:3作

瑞春院(ずいしゅんいん、万治元年2月1日(1658年3月4日) - 元文3年6月9日(1738年7月25日))は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の側室。通称は伝(でん、旧字体:傳)、また三ノ丸様・御袋様ともよばれた。今日では伝(でん)として知られる。 父は下級武士(黒鍬(10俵一人扶持)とも、中間頭(80俵)とも)の小谷正元(小谷権兵衛)で、のちに堀田正元(堀田将監)と名乗る。兄の権太郎は天和2年(1682年)2月に賭博がもとの喧嘩で小山田弥一郎(小山田弥市)に殺されている。妹は旗本白須正休の室となった(遠藤胤親の生母)。
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杉民治

すぎ みんじ(1828-1910)
登場回数:1作

杉 民治(すぎ みんじ)は、江戸時代末期(幕末)の長州藩士、明治時代の政治家、教育家。 諱は修道。吉田松陰の兄として知られる。杉道助は次女滝子の子。長男吉田小太郎と長女豊子の夫玉木正誼は萩の乱で戦死。三女道子の養子に吉田庫三。
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成良親王

なりよししんのう(1326-1344)
登場回数:1作

成良親王(なりよししんのう、なりながしんのう、嘉暦元年(1326年) - 康永3年1月6日(1344年1月21日)?)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の皇子。母は阿野廉子。同母兄弟に恒良親王、義良親王(後村上天皇)がいる。
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清河八郎

きよかわ はちろう(1830-1863)
登場回数:3作

清河 八郎(きよかわ はちろう、文政13年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、自らも虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。 幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。位階は贈正四位。
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清瀬一郎

きよせ いちろう(1884-1967)
登場回数:1作

清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5日 - 1967年〈昭和42年〉6月27日)は大正、昭和時代の日本の弁護士、法学者、政治家。弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。
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西郷従道

さいごう じゅうどう(1843-1902)
登場回数:5作
別名:西郷信吾

西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、旧字体:西鄕 從道?、1843年6月1日(天保14年5月4日) - 1902年(明治35年)7月18日)は、日本の政治家、陸軍・海軍軍人。最終階級は元帥海軍大将、陸軍中将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前は「つぐみち」だが、西郷家では「じゅうどう」が正訓となっている。兄の西郷隆盛が「大西郷」と称されるのに対し、従道は「小西郷」と呼ばれている。 文部卿(第3代)、陸軍卿(第3代)、農商務卿(第2代)、元老、海軍大臣(初・4代)、内務大臣(第2・14代)、貴族院議員を歴任した。
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