基本情報
護良親王(もりよししんのう)は、鎌倉時代末期から建武の新政期の皇族・僧侶・武将・天台座主・征夷大将軍。還俗前の名は尊雲法親王(そんうんほっしんのう)、通称を大塔宮(正式には「おおとうのみや」/俗に「だいとうのみや」)とも。一般に後醍醐天皇の第三皇子とされるが、一宮(第一皇子)という説もある。母は民部卿三位で、北畠師親の娘の資子という説と、勘解由小路経光(広橋経光)の娘の経子という説がある。尊珍法親王の異父弟。興良親王の父。 元弘の乱で鎌倉幕府を打倒することに主たる功績を挙げ、建武の新政では征夷大将軍に補任。しかし、尊氏を疎む護良は、武士好きで足利尊氏を寵愛した父とはすれ違いが多く、将軍を解任され、やがて政治的地位も失脚、鎌倉に幽閉される。のち、中先代の乱の混乱の中で、足利直義の命を受けた淵辺義博によって殺害された。鎌倉宮の主祭神。
名前 | 護良親王 |
よみ | もりよししんのう |
性別 | 男性 |
生年 | 1308年 |
没年 | 1335年 |
血縁情報
親
- 【父】後醍醐天皇
【母】民部卿三位
兄弟
ランキング
出演情報
太平記(1991年)
堤大二郎
出典:NHK
タイトル | 役者/年齢 | 役名/出演回数 |
---|---|---|
1991年 | 堤大二郎 | 護良親王 |
太平記 | 当時30歳 | 11回/全49回 |